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安国院玉泉山 with 橘Gallery JA/English

毛髪供養

髪に感謝を、
生業に誇りを

針供養や櫛まつりのような“道具”ではなく、“髪の毛”そのものを供養する全国的にも珍しい行事。大正10年(1921)から安国院で営まれています。

大正10年(1921年)に、東京日本橋の理容店主らが、生業への感謝と商売繁栄を祈念して、仕事で回収した毛髪を安国院へ奉納したことがはじまりです。その後、京橋の同業組合の尽力もあり、震災や戦災による中断を乗り越えて受け継がれ、令和7年(2025年)11月24日に第100回を迎えました。

現在は毛髪供養会(会長:中山雅紀 住職)のもと、東京都理容生活衛生同業組合 中央支部が世話人を務めています。

毛髪供養碑
毛髪供養碑と第41世 中山利静

第100回

  1. 行事
    第100回 毛髪供養拡大して読む

    玉泉山 安国院・橘Gallery

    第100回 毛髪供養

    〜髪に感謝を、生業に誇りを、そしてお客様へありがとう〜。記念すべき第100回を迎えた毛髪供養は、理容と美容が手を携え、日々への感謝とこれからの繁栄を願って営まれた。12時からの毛髪供養法要に続き、13時30分からは境内の橘ギャラリーで、資生堂のビューティーディレクターを務めた毛髪のスペシャリスト・上田美江子氏による奉納ヘアショー&トークショー。漸花式の屏風の前で住職にヘアを施した。司会は杉山芳子氏。

百年のあゆみ

  1. 令和7年(2025)11月24日第100回 毛髪供養。上田美江子氏による奉納ヘアショー
  2. 昭和60年(1985)5月6日毛髪供養60周年記念
  3. 昭和51年(1976)5月日本橋地域の供養講と共催で供養実修50周年。第41世 中山利静が縁由を記す
  4. 昭和41年(1966)5月毛髪供養講が40周年を記念し、百万円を投じて玉垣額縁を施した供養碑の偉容が整う
  5. 昭和26年(1951)11月17日毛髪供養25周年記念として、創設以来の物故者の慰霊祭を併せ行う。以後、京橋の同業組合有志により「毛髪供養講」として継続
  6. 戦時中大東亜戦争により再び中断
  7. 昭和8年(1933)組合顧問であった衆議院議員・安藤正純氏の筆になる、仙台石の毛髪供養碑が建立される
  8. 昭和2年(1927)復興成り、供養会が復活
  9. 大正12年(1923)関東大震災で中断
  10. 大正10年(1921)秋檀家総代の一人で日本橋呉服町で理容業を営み、日本橋中央美髪術組合長であった岡田建次郎氏が、組合有志と生き毛の供養を当院境内で営んだことにはじまる

毛髪供養碑の縁由について

顧れば大正十年の秋の頃、当山檀家総代の一人で当時日本橋呉服町に理容業を営んで居られた岡田建次郎氏が、其の当時日本橋中央美髪術組合長であったため、組合有志と相計り生き毛の供養によって生業に感謝し商売繁栄を祈念する事を念願して組合有志主催に依る毛髪供養を当院境内で営んだ事に始まったものである。

其の後関東大震災で中断したが、復興成った昭和二年再び供養会が復活し、昭和八年組合顧問であった衆議院議員・安藤正純氏の筆になる現在の立派な仙台石の毛髪供養碑が建立されたのである。

爾来十数年後、今次大東亜戦争によって再び中断の止む無きに至ったものであったが、昭和二十六年十一月十七日復活三年目にして毛髪供養二十五周年記念として、創設以来の物故者の慰霊祭を併せ行なったものである。

然し、この時点迄は日本橋美髪術組合が主催で、京橋の同業組合の方々を来賓として招き供養が行なわれたものであるが、罹災、疎開と複雑な変化の中に於て客分であった京橋の組合有志の方々により毛髪供養講の名の下に供養会が継続されたのである。

昭和四十一年五月毛髪供養講が四十周年を記念して、百万円の巨費にも及ぶ建設資金を以って、玉垣額縁の化粧を施した立派な供養碑の偉容が整い今日に至ったものである。

全国にも類をみない、毛髪供養の意義を持つ、当院境内の毛髪供養碑の縁由を述べると共に、その後設立された日本橋地域の供養講と共催にて、供養実修五十周年を迎えたことを機とし盛大に供養会を処修する事のできる法悦を感謝し、業界の将来の繁栄を祈念するものである。

昭和五十一年五月 千葉県市川市 玉泉山 安国院 第四十一世 中山 利静 謹記

60周年記念
毛髪供養60周年記念 昭和60年5月6日
縁由(昭和51年)
「毛髪供養碑の縁由について」昭和51年